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「行ずる」 「生かされている自分を感謝し、報恩の行を積みましょう。(生活信条)」
平成24年度・定期布教課題論文
台番3248 襌興寺 梅澤徹玄

「震災の苦悩を超えて」

【はじめに】
 「生かされている」。この言葉の重みを、通身味わい尽くしたあまた被災の方々の艱難辛苦に思いを馳せ、失われた尊い御霊の冥福を心から祈りて記す。

【生死の境を乗り越えて】
 3月11日発生の東日本大震災よりこの方、我々日本人の価値観は、根底からの一大転換を余儀なくされた。震災以前の軽佻浮薄な、物質・利益至上主義的な風潮が、木っ端微塵に打ち砕かれた歴史的転換点であった。想像を遙かに越えた自然の猛威の前になすすべなく打ちのめされ、破壊され尽した人類の「叡智」の非力さ、虚構性が、地獄絵の如く露呈した一瞬であった。「諸行無常」「諸法無我」の現前に、誰しもが驚愕、痛哭を繰り返した。生と死を分け隔てた一瞬の境の理不尽さに愛別離苦を慟哭し、「生かされて」今ある自分の命の意味と重みを繰り返し問い直し続けた此の方であった。人間の計らいを越えた「大いなる」力により、生かされいる自分に誰しもが感謝せずにはおれなかったろう。

【衆生恩について】
 仏教で「恩」と言えば、先ず「四恩」であり、君恩、親の恩、師の恩、衆生恩とされる。先の三つは倫理道徳的に捉え易いが、「衆生恩」のみは東洋的思想の感が強く、仏教が重んじる「報恩」では特に肝要となろう。この「衆生」とは字義通りの「衆(もろもろ)の生けるもの」ではなく、原梵語「生・サットワ(sattva)」は「存在」の義であり、「すべて在るもの」の意味である。有り体に言えば「すべての環境に対して恩を感ずる」の義である。*注1
 震災罹災直後の耐乏生活の真っ只中で、それ以前はあることが当然至極、何とも思っていなかったありとあらゆる物資、環境、インフラストラクチャー、サービス等々が一瞬にして停止、欠乏、破壊された。現代文明生活が、華厳哲学に言うところの重重無尽の因縁仮和合によって奇跡の如く辛うじてもたらされていた「砂上の楼閣」=〔色即是空(実体の無いお預りもの)〕であったことに愕然とし、その求不得苦に汲々とし、翻弄された。自分の力で「生きている」と錯誤していた当り前の生活が、いかに多くの環境や人々の労苦の集積の結晶として、有難くも「生かされて」いる命であるかを、徹底思い知らされた。
 その一方、直接被災の有無に関わらず、被災者の筆舌に尽くし難き心情に対し、一心同体の涙腺を絞り、助け合い、励まし合い、義捐や援助、ボランティアの無償の布施行が、日本全土、世界各地から被災地へ横溢した。
 「おかげさま」「ありがとう」の言葉が、これ程老若男女の区別無く、本心から虚心坦懐に人々の間に交わされた月日もなかったろうと思われる。

【足るを知る】
 被災地では誰しもが、罹災後暫く、耐乏ローソク生活を強いられた。年配者は戦後の暮らしを思い起こし、若き世代は一室に家族片寄せ合う、必要最低限の暮らしを生まれて初めて経験した。不足、欠乏するあまたの物資の一方で、普段いかに不要なものに囲まれて暮らしていたか、又、人が生活する上で必要最小限のものはいかに限られているかを、改めて思い知らされたのも事実であろう。
 鈴木大拙師は著書*注1の中で「報恩」を「すべての環境に対して恩を感ずる」の義である、とされる。つまり「自然に対する感謝の念」であり、「自然物の虐使および濫費をさせぬ」こととして、これを「日常の生活の中に自ら織り込もうとするのが襌堂修行である」とされた。「何でも無駄にせぬというのが、襌堂生活の要諦」であってみれば、「生かして使う」という禅特有の調子がそのまま「報恩」の行として、「機械文明」時代において限りある自然及び資源に対する尊敬的態度の実践として復活、重視されねばならぬと力説される。

【祈りの本質】
 今般世界各地より被災地に多くの祈りが寄せられた。現地では引き裂かれ、失われた多くの命の冥福を願い、又家族の安否に怯える不安の真っ只中でその無事を祈った。又、自らの生死を決する極限状態の中で、無数の祈りが繰り返されたろう。「祈る」という行為が、人間存在の根源的欲求として内在されていることへの確信と、自他を超えた共感と連帯の欠くべからざる必須行為であることが得心された。鈴木大拙師曰く「祈りは(中略)絶対矛盾である。」なぜなら「自然の法則に従うことをしないで、これに対する反逆」であるから。それは「人間だけに許される」行為である。「自分の周囲に打ちひろげられる日々の惨憺たる光景を見せつけられたり聞かされたりすると、何ともじっとしてはいられないのが人間である。(中略)それかといって人間の力では何とも仕方がない。(中略)この時に心の底から涌いて出てくるのが祈りである」「ただ『自然』なるものの運行をひっくり返してみたいという、いわば一種の反逆心」であり「非合理の極み」であると指摘される。「その実祈りは人間性を構成している最強の要素を引き出」し、「人間生活の展望が根元からひっくり返る」と喝破される。
 「吾等人間は常時業の重荷を背負っていて、しかもそれから釈放されたいと願って止まない」存在であるが、「この止むに止まれないものが却って人間をして業を超越せしめる」ところの「霊性裡の動きに外ならぬ」のであって、「祈りは宗教生涯の神髄を構成する」とされる。

【人生苦と大慈大悲】
 津波の襲来と原発による放射能汚染の蔓延の圧倒的事実を前にして、幾多の人々が「夢であって欲しい」との空しい希望を繰り返したであろう。釈尊は「人生は苦である」と説かれた。震災の苦難を経て、文字通り人生苦が人間生活の事実をありのままに捉えた真理である事が、改めて日本人全体の認識として実感された感がある。
鈴木大拙師は「宗教経験は苦の経験であって、この経験故に離苦が可能になる」。しかし、それは苦をただ感性上で見るのではなく、「大慈大悲の心が動かなくては」ならず、「この心が霊性」である。「業を業とまともに認覚すると同時に、吾等存在の根源そのものはそれで縛られていないということを自覚する」ことで、「業苦の繋縛が解消する」。ここに「即非の論理が成立する」、とされる。*注1

【事事無礙法界―万物にはたらく感謝の心】
 鎌田茂雄師は著書の中でこう記す。*注3
「あらゆるものが意志がそこに動いているのだと」考えると「人間はそのときに感謝の気持ちをもち」、そのとき「あらゆものが全部三界万霊」となり、「事事無礙法界が成り立つ」。つまり「人間が山で、山が人間になり、つながってくる関係」の世界である。「人間の心と物がまったく一つになってゆく」世界である。知性では到達できない「しかもそれは意志に深めれれた情の領域」であり、「哲学から宗教」への大きな転換を迫り、ここで「はじめて仏の光明、あるいは仏の慈悲」がわかってくるのだ、と。
 更に師はこの華厳思想の四種法界を臨済録の四料簡に当てはめて、「事事無礙法界」を「人境倶不奪」に相当させている。そこでは「人間が生き生きとはたらくものになって」おり、「あらゆるものを見ても山が笑っているように見えるし、海が吠えているように見えるし、あらゆるものが仏の命を発散させているような世界」が現前し、尚且つ「そこに人間のエネルギーが一つに重なっている」それこそが、臨済の目指した世界である。「生死に染まず去就自由」「まったく自由自在な境地が体得」される人こそ「無位の真人」たる「本当の人間」であり「自由人」である。即ち「随処作主 立処皆真」であり、「自分が絶対自由の主体」となる「すさまじい人間像が確立する」と結論する。

【心随万境転 転処実能幽】
 震災による津波の犠牲者を弔う四十九日忌施餓鬼法要が、変わり果てた本堂の形骸を背に、三陸の海岸の辺で嚴修された。数え切れぬ遺族はひとりびとり、帰らぬ御霊に「帰って来いよ」と慟哭の切なる思いを胸に、海に向って洗米を投げ、施水した。朗々たる読経に包まれながら一人残らず焼香した人々は、誰ともなくそのまま海に向かい、花を手向けた。その表情には、つい先程、遺骨を胸にうつむき歩いた沈痛な面持ちは既にない。誰もが晴れやかに、涙の後の談笑を青空に放った。その眼前の海は、確かに愛する者の命を奪った憎き海でありながら、しかし同時に人智を越えた大いなる命の現前であり、死者と現世の我らを繋ぐ掛け替えのない確かな「事事無礙法界」であったに違いない。

【報恩の行】
 鈴木大拙師は記す。*注1「ことごとくこれを仏の恵みと感じて、これをそのまま御仏の前に捧げたい心をもつようになる。」この仏とは「おのが環境そのもの」であり、一切衆生」である。「これがことごとく仏の光を放ってわが身の上を照らすのであるから、われらは心の中から感謝の情を起し報恩の行を勤めるのである。」「自然を征服するのではなく、これと親しんで手を握り合うということは、人間の向上、人道の洗練ではなかろうか」と。
 畢竟ずるに環境が「この身この心に入り込んでいるとすると、自分と自分に対するものとの区別がはっきりつかぬようになる。」
結果、「何につけても、かににつけても」感謝の念が起こり、謙下心、忍辱心、柔軟心、和らぎの心が育まれる。「この心の培養こそ、宗教的修養の根本」であり、これをおろそかにせぬことがそのまま禅における「行」なのである。
以 上
*注1―鈴木大拙著「禅の見方・禅の修行」(近代生活における襌堂の意義)春秋社
*注2―鈴木大拙著「仏教の大意・第一講・大智」法蔵館
*注3―鎌田茂雄著「華厳の思想」(第三章華厳思想の核心)講談社学術文庫
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念仏と禅の成仏

臨済宗妙心寺派襌興寺(宮城県黒川郡)
住職 梅澤徹玄
 この夏、去る3月11日の大震災による多くの犠牲者の冥福を祈る数多くの祭りや慰霊行事が、東北各地を中心にいまなお繰り広げられていることは記憶に新しい。参列者の願いは、なす術(すべ)もなく亡くなって逝った御霊(みたま)に対する哀惜の念と鎮魂への切なる思いであったろう。煎じ詰めれば「どうぞ安らかに『成仏』して下さい」との一語に尽きる。ここには生き残った私が「成仏」を祈願する側で、亡き故人が成仏を=祈られる側との相対する関係がある。つまり「成仏」するのは、あくまで私ではなく「他者」である、というのが社会一般の「成仏」の理解であろう。弊山の檀信徒内では、故人の成仏を祈願【南無阿弥陀仏】する葬儀後の念仏行事が、今でも「お念仏」と称して、「契約講」により行われているのがその好例である。
 しかし禅の立場から「成仏」すると言えば、誰あろうこの私こそが「成仏」する他ない。つまり「仏に成る」=「悟る」ことこそ「成仏」なのだ。では一体どうすれば「成仏」できるのだろうか?
 臨済宗の宗祖・臨済義玄禅師の言行録「臨済録」示衆にこう記す【意訳-筆者】「おまえさん方、あのお釈迦さんとちっとも変わらんじゃないか。人生当たり前に生きとるのに、一体何の不足があるか。ありのまま、そのままでよいのだ。」「思い通りにゆかぬ原因を外にばかり求めておるから一向埒(らち)があかぬ。他人の言葉や思惑ばかりに気を取られて、ああでもない、こうでもないと気を揉んで、萎縮したり、自信喪失したりして、自己を見失い、自分自身を最後まで信じ切れないことが最大の誤りだ。自分のこころが作り出した邪(よこしま)な欲望や不安、心配、取り越し苦労、未練、執着で、自分で自分を苛(さいな)み、傷つけ、苦しめておるのだ。」「だから、外に向って求めることを止めよ!止めさえすれば、目の前でわしの話を聞いておるおまえさん方一人残らずそのまま、あのお釈迦さんと寸分違(たが)わぬ仏なのだ」と。
 禅宗では専(もっぱ)ら「坐禅」を行じる。背筋を立て、腹式呼吸によって体内の呼気を残らず吐き切り、呼吸と一つとなる。身体を調(ととの)え、呼吸を調えれば、自ずから心が調ってくる。自然の摂理である。あらゆる妄想、邪念を一息ごとに捨て去る「無我」の境地。先ず「自分を空っぽ=ゼロになる」ところから始めて、畢竟(ひっきょう)我とその他の境が取り払われてしまえば「自他(じた)不二(ふに)」に至る。
 「ちっぽけな自我」を捨て去り、捨て去って最後に残る究極は、決して捨て去る事のできない絶対普遍の自己=仏性(ぶっしょう)である。その「仏性=自らの腹の底【=無】から聞こえてくる生まれながらの真実の声」に耳を傾ける爲の、「時間」と「場所」と「心の余裕」を持ちなさい、というのが坐禅なのである。

供養する者の安堵
 さて釈尊はこの世を「一切苦」と喝破された。「苦」とは「思い通りにならぬ」ということだ。この世の中、宇宙全体は「ちっぽけな私の好き勝手な思惑=色メガネ」とは全く無関係に、自然の摂理に従い粛々と動いて止まぬ。だからその乖離(かいり)【そむき離れること】への不満は、我が心にたぎる三毒【貪瞋痴(とんじんち)=むさぼり、いかり、おろかさ】となり、自らこれを手放さぬ限り、我が身を苛み続ける【=「成仏」できぬ】道理である。
 今般の大震災で筆舌に尽くし難い辛く、苦しく、悲しい体験をされた方々の多くが、心中際限なく繰り返したであろう自問自答は「なぜ?どうして?夢であって欲しい」との切なる思いであったろう。問答無用に我が人生の礎(いしずえ)を、根こそぎ奪い取っていったあの自然の猛威に対し、やり場のない憤懣(ふんまん)と愛別離苦の悲しみが、多くの被災民を繰り返し苦しめたに違いない。しかし自分の身の周りの多くの人々が共に悲惨な思いを抱え、その日その日を生きるのに精一杯である生活の真っ只中で、多くの方々は自らの生(なま)の感情や絶望を、我が心の内に秘めたまま、人生の不条理に苦しみ抜いてこられた日々であったろう。
 三陸沿岸部の寺院の復興に何度か足を運んでいる。津波によって新築間もない本堂や、庫裡、墓地が壊滅的な被害を受け、多くの檀信徒の命が奪われた。今尚多くの被災者が行方不明となっているその寺で、去る4月28日、四十九日法要が、瓦礫を押し分けようやく営まれた。当日、電話や電気が寸断されたままの瓦礫山積みの地に、口コミで知った遺族、親族が次から次へと押し寄せ、本堂内は立錐の余地も無い程の人いきれとなった。全国から駆けつけた復興ボランティアの僧侶たちも一体となった読経は、僧俗問わず心中深く染み渡り、朗々と堂内に響き渡り、五百人を優に超える群集の涙腺(るいせん)を引き絞った。
駐車場に仮設した施餓鬼棚で、亡き人への思いを胸に洗米と水向け、鎮魂の焼香が参列者一人残らず延々と営まれた。法要を終え、海辺への献花をし終えた人々には、つい先程来山した折の沈痛な表情はもはや無い。何もしてやれなかった最愛の亡き人に、やっとせめてもの供養をしてやれた安堵感が、どの参列者にも晴れ晴れとした笑顔と談笑となって溢れていた。それは被災者が五十日振りにようやく自分の心のやり場を取り戻した一瞬と感じられた。ここを一つの節目として、復興への足掛かりを得たい、との思いが少しでも満たされたならば幸いである。
 そこには成仏を祈る側も祈られる側の区別も無い。祈る自分とその他の周囲の人々との境も無い。文字通り「自他不二」の世界が現前した一瞬であった。納得しきれぬ現実をありのまま受け止める事でしか、人は救われぬ=「成仏」できぬ。ありのままの現実をありのまま心に受け入れて初めて、人は新たな一歩を踏み出せる。悲しみ、苦しみを想い出に振り替えて、生きる活力に昇華することができる。それこそが「祈り」、読経の「功徳」ではなかろうか。

自らの痛みを心の種子(たね)として
 一人ひとりの悲しみ、苦しみ、辛い経験は千差万別、個別具体的なもので、「死者行方不明者何人」などと言う数字では決して表せない。しかしながら、この私の「苦」は私一人が味わう孤立無援の「絶望」ではない、生きとし生ける者が必ず味わう普遍的な悲しみ、苦しみ、辛さである、と自らの経験を通して心底徹底「気付く」ことで、人は自分の周囲、眼前に渦巻く他者の心の痛みに共感する。「慈悲」とは【大いなる友情】+【呻(うめ)き苦しむ】から成る。塗炭の苦しみを自ら乗り越えたものだけが、他者との心の境を取り払い、眼前の他者の悲しみ、苦しみ、辛さを我がものとして、最高の友情の手を差し伸べることができるのであろう。そこには自らの痛みを心の種子として、大いなる慈悲心の「誓願」の花を咲かせた「転換」がある。
 鈴木大拙師は「禅とは何か」の中でこう記されている。「禅は『一念の浄信』である」「この一念とは」「全人格の力の限りを一つの信念に集中したのである。この集中が頂点に達するとき、そこに転換がある。この転換が浄信を生ずる。」「他力と禅宗とは、さまで違ったものではないのだ。」「一念の浄心はいずれにもある。」と。
 「若(も)し能(よ)く是(かく)の如く見(けん)特(とく)せば、祇(ただ)、是(こ)れ一生無事の人なり」(臨済録)
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「宗門安心章」
お釈迦さまの悟りが私たちに与えてくれるもの「現前三宝」【最終稿】

 仏教は「独(ひと)りの人間」に始まった。
 このごく「あたり前」の事実に、「うん!」と素直にうなずける方が、どれほど日本にいるでしょうか?
 
 熱気があたりを渦巻いていた。
 天を突くように枝葉をひろげた樹木(菩〈ぼ〉提〈だい〉樹〈じゅ〉)のかたわらには、世界各地から集う人々の群れが祈り、拝み、坐り、瞑想し、うずくまっていた。
 その熱気と人いきれ、読経の音おん声(じょう)に包まれ、喧けん騒(そう)の坩堝(つぼ)に放り込まれたような気がした。

 お釈迦さまのお悟りの地、インド・ブッダガヤーに生まれて初めて足を踏み入れた、私の偽りなき感慨です。
「独りの人間」が亡くなって約二千五百年。いまなお、人々の心を揺さぶり、その遺徳を慕う人々の思いの源泉は、はたしてどこからくるのでしょうか?

 ──恵まれた人が抱く出家への思い──
お釈迦さまは、何不自由のない一国の王子、世継ぎとしてこの世に生を享)け、「ガウタマ・シッダールタ」と呼ばれました。妻をめとり、かわいいわが子に恵まれながら、この世のすべてをなげうち、ただ一心に安(あん)心(じん)を求めた実在の一青年。三十歳ごろのことでした。
 出家への思いとはいったい何だったのでしょうか?
 人は誰しも生まれ、老い、病み、死を迎える。それはただ一人の例外も許されない。この否定できない真実の重みに耐えかねて、その苦しみからの解放を求めた道が、やむにや已まれぬ出家でした。
 目の前を行き交う人々の苦しみを、そのまま直ただ)ちに「わが人生の避けられない行く末」と受け止め、不安と苦悩のただ中に苦しまれたお釈迦さまの純粋なる感受性。その心根の優しさ、純粋さは、「悟り」の種子(たねとなり、悟りを得た後は、大いなる慈悲心として、お釈迦さまの生涯を貫く生きる指針となったのです。

 ──苦から逃れたい!──
 人間の持つ甘美な欲望を、欲しいままに満たすことのできる境遇で育ち、世俗的な苦とは無縁に思われたシッダールタ。
 その心を修行に向わせたものは、一体何であったでしょう。
 自分の命と引き換えに、出産一週間にして亡くなった実母・摩ま)耶(や)夫人(にんの死が、幼子の胸に深い影を落とし、逃れることのできぬ暗い現実として立ちはだかり、物思いに耽(ふけ)る感受性の強い青年を育んだのでしょう。かなわぬ母への深い憧憬あこがれ)が、生死を超えた永遠の命を求めさせたとは言えないでしょうか。
 人生という大河の行く末に待ち受ける、断崖絶壁の瀑ばく布(ふ)(滝)のような「老病死」の前では、世俗のあらゆる欲望の充足も、死刑執行を待つ獄囚の食事のごとく、やるせなく、味気ないものに感じられたことでしょう。
 一瞬の美味を貪(むさぼ)るより、この怒涛(とう)の如く奔ほん流(りゅう)する「老病死」の「苦」の流れからなんとか逃れるすべはないかと、必死に道を探し求める一青年の切迫なる決断であったに違いありません。

 ──肉体をいじめ抜いても、煩悩は去らない──
 遂に出家したシッダールタは、遍歴修行者として師を求め、二人の師から精神統一法、すなわち無念無想の極意を得ました。心の修行法の基礎を確立したのです。しかし、それはあくまで手段であり、彼が求める涅(ね槃(はん)つまり「究極の安らぎ」そのものではないことに気づいたのです。
 そこで彼はその地(当時のインドの大国・マガダ国の首都王〈おう〉舎〈しゃ〉城〈じょう〉)を離れ、西南の地に向かいました。ネーランジャーナ(尼〈に〉連〈れん〉禅〈ぜん〉河〈が〉)の辺ほとりウルヴェーラにあるセーナ村へ移ったのです。
 そこには、当時の修行者が集う苦行林(前正〈しょう〉覚〈がく〉山〈さん〉)があったからです。
 「苦行」とはサンスクリット語でタパスと言い、「熱」を意味します。インドでは当時から現在に至るまで苦行が盛んです。苦行とは、煩悩や欲望を生み出す肉体を極限状態まで厳しくコントロールすることで、お悟りに近づこうとする修行方法です。その結果、「修養により体内に蓄積された熱が自らの財産、あるいは徳力であり、その功徳により、死後に永遠の苦しみからの解放を得られる」という当時のインド修行僧の常識にお釈迦さまはまず従ったのです。
 その苦行は想像を絶する、前人未踏の苛烈さでした。あるいは呼吸を止め、絶食し、六(七)年間に及ぶ苦行の果てには、ついに痩せ細った身体の骨や筋、血管が皮膚からくっきりと浮き上がり、腹の皮が背骨に達するほどでした。毛根は腐り、毛は抜け落ち、皮膚の色がくすんだ様はまさに死し)人(びとそのもの。その果てに彼が得た結論は、苦行の無益さでした。
 これ程肉体を痛めつけても「究極の安らぎ」はついに得られませんでした。心の完成のためには、やはり心そのものの純化に専念するより他に手立てはない、と徹底して気づいたのです。
 彼はついに苦行に見切りをつけ、苦行林を後にしました。
 ネーランジャーナで沐浴し、心身を洗い清め、村娘スジャーターの供養する乳ちち)粥がゆを食し、気力体力を回復、充実したのです。
 しかし、その様を凝視した五人の修行仲間(父浄〈じょう〉飯〈ぼん〉王〈おう〉が遣わした元臣下たち))は、彼が苦行に挫折し、堕落したと見なして軽蔑し、そのもとを去っていきました。

 ──喜びに満ちて悟りを開く──
 いよいよ機縁は熟しました。
 彼は岸辺に立つアシヴァッタの大樹(後に菩提樹と呼ばれる)の下もとに、農夫からもらったムンジャ(吉祥草)の干草を敷きました。
 「必ずや解(げ)脱(だつ)を得るまでは、決してこの坐を立たぬ」との大(だい)憤ふん)志を胸に、深く終わりを知らぬ瞑想に入ったのです。
 この間、あらゆる心の働き、煩悩、怠け心や迷いとの壮絶な葛藤が、悪魔の名を借り、彼の心中で繰り広げられたとされます。
 そしてインド暦の二月八日、暁ぎょう天(てん)の明(みょう星(じょう)輝くその瞬間とき、ついに彼は大歓喜に満たされて悟りを開き、仏ぶっ陀(だ)(覚者・智者)となったのです。お釈迦さまは一切の真理を知る智慧を得て、人生の苦しみの根本原因を克服する道を見い出し、その根本原因を消滅させ、ついに究極の安らぎを得たのです。
 お釈迦さまはその後さらに七日間、いくつか木を替え、瞑想を続け、悟りを味わい、吟味し、反(はん芻(すう)しました。

 ──悟りとはなんだろう?──
 世の中のすべてのものには、根本となる原因があり、それにさまざまな縁が重なり合い、なるべくして、あるべきようにこの世に現れている。すべては偶然ではなく、必然の結果だ。一瞬一瞬の奇跡のようなものだ(=「縁(えん起(ぎ)の道理)」。
 しかし、奇跡は二度と現れず、続かない。その一瞬の縁が尽きてしまえば、あっという間に形を変え、次の「因」と「縁」の織り成す新しい現象に姿を変え、移り変わっていく。
 「すべてのものが一瞬一瞬変化し続けている」という事実だけが、唯一絶対この宇宙を貫く真理なのです。だからすべてのものには何一つ、永久不変の固定した実体は存在しない。これが「空(くう)」であり「無常」ということです。
 人はとかく自分の愛着に引きずられ、「いつまでも変わらず、このままでいたい、いてほしい」と願いますが、決してかなわぬ道理です。
 であればこそ、死に向かって日々変化し続ける限りある私の若さ、健康、または永遠の生命を求めている限り、自分の心が造り出した「苦」、思い通りにならないストレスから決して解放されることはあり得ないのだ、と心底気づかれたのです。
 仏教、特に禅では「放てば充(み)てり」と言います。
 「年はとりたくない」「病気はしたくない」「死にたくない」と執着すればするほど、たまる一方の苦しさに四苦八苦する私たちでも、無理せずありのまま受け入れる心が決まりさえすれば、苦にせず、あるがままに生きてゆけるのです。
 しょせん、丸裸無一物で生まれた私が、すべて預かりものの「私」をきれいさっぱりお返しして、あたり前に年を取り、病を得て、死んでゆくことこそ、唯一「苦」を乗り越える道だと、徹底して気づかれたのです。
 これが「空」に生きる、ということでしょう。
 私というちっぽけなしがらみから手を放してやるだけで、この宇宙全体と丸ごと一心同体の、とんでもない自由自在の心を手に入れることができるのです。

 ──初めて悟りを伝える──
 お釈迦さまの悟ったこの真理(法=仏の教え)は深しん甚(じん)にして、言葉に言い表せぬほど奥深いものでした。
 初めお釈迦さまはこの伝道を不可能と考え、躊(ちゅう躇(ちょ)されました。
 しかし結果的に法は伝わりました。
 人として同じ悩み、苦しみのただ中にいる人々を、なんとかして救い、その苦しみを少しでも和らげたい。この尽きることのない普遍的な思い「大慈悲心」。これこそ、お釈迦さまという歴史上ただ独りの人物から、数あま多(た)の人々の心に脈々と受け継がれた、教えを広める原動力であったのです。
 約二千五百年の時を超えて地球を駆け巡り、今も人々の心を揺さぶり続ける大いなるエネルギーの正体なのです。
 当時当初、瞑想法を授かった二人の師は、すでに亡くなっていました。
 次にお釈迦さまの心に浮かんだのは、自分とともに苦行し自分を見限った五比丘でした。彼らの住むサルナート(鹿〈ろく〉野〈や〉苑〈おん〉)の地は、西方向へおよそ二百四十キロメートル、徒歩で十日以上を要したと思われます。
 彼らは、苦行を放棄したお釈迦さまを蔑視して、互いに歓迎せぬよう申し合わせました。しかしそのお姿をひとたび目にするや、その尊厳なる偉容に圧倒され、思わず丁重に迎え入れてしまいます。しかしその後ハッと我に返り、三度にわたってお釈迦さまをなじり、説法を拒否したとされます。しかしようやく耳を傾けた五比丘に対し、お釈迦さま最初の説法(初転法輪)がなされました。

 ──物事をありのままにとらえることの難しさ──
 私たちの心は、とかくこの世をありのまま、真実の姿として受け止められません。それは 自分の心の欲望やとらわれに心が引きずられ、我という執しゅう)着(じゃく)の色眼鏡、心の垢あかが抜き難く、かさぶたのようにこびり付いているからです。
 しかも、自分ではその心が造り出した歪(ゆが)みやひずみに、全く気がつきません。
 私たちは自身で、そっとその色眼鏡を外せばすむものを、「相手が悪い」「世間が悪い、間違っている」と外に責任を転嫁し、喜怒哀楽の波間に翻弄されている、愚かで哀れな存在です。
 本来一つであるはずの世の中、真実を、好悪、損得等によって、得手勝手に二つに裁断し、自分の都合のいい方に歪曲し、結局判断を誤ってしまうのです。
 外に向かって無理難題をふっかけ、自分で自分の心に負担をかけ、求める結果が得られないと、我が心を苛(さいなんでいる私たちです。
 それを仏教では心の三毒「=貪むさぼ)り、憤いかり、痴(おろかさ」と呼ぶのです。
 「四苦八苦する」とは、「私が私が」と執着する歪んだ心の屈折が、ありのままの真実をありのままに受け入れられないストレスの別名です。
 「自己に目覚める」とは、「私が私が」という力ずくの「たが」が外れて、「我も他人もない」という価値観に生きることです。
 愛欲と身体を苛む苦行という二つの極端を離れ(中道)、八つの正しい行い(八〈はっ〉正〈しょう〉道〈どう〉)による生活と修行を積み重ねることこそ、悟りに至る唯一真実の道なのです(これを「四〈し〉諦〈たい〉」=苦集滅道と呼びます)。
 物事をありのままに捉える真実の智慧を人生の羅針盤として受け止めるならば、この森羅万象すべてがそのまま、絶妙なバランスを保ち、絶えざる変化の中で互いに影響を及ぼしあう完全なる調和の世界であると、心底合点がゆくはずです。このように心のあり方がしっかりと定まることを、悟りと呼ぶのではないでしょうか。

 ──仏教伝道の礎──
 これを聞いてまず五比丘の一人、コンダンニャの智慧の眼(まなこが開かれました。お釈迦さまは喜びのあまり「コンダンニャは悟った」と三度叫んだとされます。残りの四人も次々と悟り、いずれも「お釈迦さまの下で弟子として修行がしたい」と申し出ました。
 ついにここに、一、悟りを開いた実在のお釈迦さま「仏」、二、その教え「法」、三、その悟りを求め、体現し、教えを広める修行仲間「僧」(僧〈そう〉伽〈ぎゃ〉・サンガ)がそろったのです。
 この三つを総称して「現げん)前(ぜん)三さん)宝(ぼう)」と呼びます。
 お釈迦さまの教えを学び、悩み苦しむ人々を救う、人々の生きる指針が確立しました。仏教伝道二千五百年に及ぶ歴史の礎(いしずえ)が、ここに築かれたのです。

 ──立ち止まって、人生を味わいなさい──
 以上、お釈迦さまの悟りに至る道筋をたどってきました。お釈迦さまのたどった道程は偉大であり、その精進は超人的な決死の努力の積み重ねでした。私たち凡人にはとても及ぶところではないと感じられたかもしれません。
 しかし禅の基本は「自らのこころのありかたを正しく調えなさい」ということです。私たちはともすれば、しなければならないこと・やらなければならないことに分秒単位で追いまくられています。人生の限りある時間を闇雲に費やし、徒労してしまいがちです。家族や周囲の人々とゆったりした心の交流ももてず、人生の本当の豊かさとは何かを考える暇(いとま)もなく、身心ともに磨り減らし、疲れ果てているのが私たちの暮らしです。
 しかし、せめて「一日一度は静かに坐って、身(からだ)と呼吸と心を調えましょう」(『生活信条』第一より)。私たちは、いつでも、どこでも、誰でも、必ず自分自身で「心の色眼鏡」を外すことができるのです。
 誰もがこの世に金輪際一度きりしかない、明日をも知れぬ人生です。
 どんなに忙しくとも、必ず一日一度は、自らの本来の心(=仏〈ぶっ〉性〈しょう〉)と向き合う勇気と、時間と、場所を作りなさい。しっかり立ち止まって味わい尽くして生きなさい。自分の限りある人生をじっくり大切に、慈しんで生きてゆこうという教えなのです。
 泥水も静かに放っておけば澱(おり)や淀(よど)みが沈殿して、上澄みがさあーっと透き通ってきます。そのように私たちは一人残らず、生まれながらに、素晴らしいいのちと心の復元力をいただいてこの世に生まれてきたのです。
 この確信を自らの心とからだの内に確かめつつ、目の前の人々やすべてのものに、心の分(わ)け隔(へだ)てのない慈しみと愛情を注いでゆこうと決意する生き方。この自他を離れた共感こそが、二千五百年にわたる仏教の歴史を支えてきたのです。それがお釈迦さまの到達した「究極の安らぎ」にまっしぐらに近づく道なのです。
 理屈ではなく、毎日の実践の積み重ねこそ、今、私たちに求められているのです。

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宗門安心章第一信心帰依③法話「現前三宝」【初稿】 
台番3248 襌興寺 梅澤徹玄


 ― 仏教は「独り(ひとり)の人間」に始まった ―
 このごく「当たり前」のことに、当たり前に「うん!」とうなずける方が、どれほど日本にいるでしょうか?
 ― 仏教て、いったい何だろう? ―
 私たち日本人にとって「仏教」と聞けば、まず何が想い浮かぶでしょう? 仏壇、線香、仏像、お寺、お墓など、私たちの暮らしの中に当たり前にある何か抹香くさい?「物」でしょうか。修学旅行で京都、奈良の寺院を巡った想い出が、走馬灯のように想い出される方もいるでしょう。又、初詣、合格祈願、お盆、お葬式、法事など、生活や人生の節目をなす、仏事や行事でしょうか?
 「あまり突き詰めて考えたこともない。」「生まれた時から意識もせず、気がついたら『空気』のようにそこにあった」という辺りが、大方の日本人の本音なのでしょう。
 ― 熱気があたりを渦巻いていた ―
 天を突くように枝葉をひろげた樹木(菩提樹(だいじゅ))の傍らには、世界各地から来たであろう人々の群れが拝み、祈り、坐り、瞑想し、うずくまっていた。その熱気と人いきれ、読経の音声(おんじょう)に包まれ、圧倒的な喧騒(けんそう)の坩堝(るつぼ)に放り込まれたようだ。(筆者現地にて)
「独りの人間」が亡くなって約2500年。今尚、人々の心を揺すぶり、その遺徳を慕(した)う人々の思いの源泉は、果たしてどこからくるのでしょうか?
 ― 出家への思い ―
 一国の王子、何不自由のない世継ぎとしてこの世に生を享(う)けた「ガウタマ・シッダールタ」。妻をめとり、かわいいわが子に恵まれながら、30歳に満たずして、全てをなげうち「悟り」を求めた実在の一青年。出家の因縁「四門出遊(しもんしゅつゆう)」とは何だったのでしょうか?
 人はだれしも生まれ、老い、病み、死を迎える。それは只一つの例外も許されない。この否定できぬ真実の重みに耐えかねて、その苦しみからの解放を求めた結果が、已(や)むに已まれぬ「出家」でした。目の前を行き交う人々の「苦しみ」を、そのまま直(ただ)ちにわが人生の行く末として受け止め、不安と苦悩の只中に苦しまれた釈尊の純粋なる感受性。その心根の優しさ、純粋さは、「悟り」の種子(たね)となり、悟りを得た後は、大いなる「慈悲心」として生涯を貫く「生きる指針」となったのです。
 ― 出家の決断 ―
 人間の持つ甘美な欲望を欲しいままに満たす事のできる境遇で育(はぐく)まれ、世俗的な「苦」とは無縁に思われた「シッダールタ」。その心を、修行に向わせたものは一体何であったでしょう?自分の命と引き換えに、出産一週間にして亡くなった実母・摩耶夫人(まやぶにん)の「死」が、幼子の胸に逃れる事のできぬ現実として立ちはだかり、物思いに耽(ふけ)る感受性の強い青年を育んだのでしょう。叶わぬ母への深い憧憬(しょうけい)が、生死を越えた永遠の命を求めさせた、とは言えないでしょうか?人生という大河の行く末に待ち受ける、断崖絶壁の瀑布(ばくふ)(滝)=「老病死」の前では、世俗のあらゆる欲望の充足も、死刑執行を待つ獄囚の食事の如く、味気ないものに感じられたことでしょう。一瞬の美味を貪(むさぼ)るより、何とかこの怒涛(どとう)の如く奔流(ほんりゅう)する「老病死」=「苦」の流れから逃れる術(すべ)はないかと、必死に道を求める一青年の「切迫なる決断」であったに違いありません。
 ― 苦行(くぎょう)の果てに ―
 遂に出家したシッダールタは、遍歴修行者として先師を求め、二人の師から精神統一法=「無念無想」の極意を得ました。心の修行法の基礎を確立したのです。しかし、それはあくまで手段であり、彼が求める「涅槃(ねはん)」=「あらゆる煩悩(ぼんのう)を空じ尽くした境地」そのものではありませんでした。そこで彼は当時のインドの大国マガダ国の首都王舎城(おうしゃじょう)の地を離れ、西南の地に向かい、ネーランジャー河の辺(ほとり)ウルヴェーラにあるセーナ村へ移ったのです。ここには当時の修行者が集(つど)う苦行林(前正覚山(しょうがくさん))があったからです。「苦行」とはサンスクリット語でタパスと言い、「熱」を意味します。インドでは当時から現在に至るまで、修養により体内に蓄積された熱が、自らの財産あるいは徳力であり、その功徳により、死後に解脱(げだつ)を得られるとの「常識」に従ったのです。彼の苦行は想像を絶する前人未踏の激しさでした。あるいは呼吸を止め、絶食し、6(7)年間に及ぶ最後には、痩せ細った身体の骨や筋、血管が皮膚からくっきりと浮き上がり、腹の皮が背骨に達する程となったのです。毛根は腐り、毛は抜け落ち、皮膚の色がくすんだ様はまさに「死人(しびと)」そのものでした。その果てに彼が得た結論は「無益(むえき)」でした。これ程肉体を痛めつけても「最高の境地」は遂に得られなかった。心(最高の智慧)の完成の爲には、やはり心そのものの「純化」に専念するより他に手立てはない、と徹底して気づいたのです。彼は遂に苦行に見切りをつけ、苦行林を後にしました。ネーランジャー河で沐浴し、心身を洗い清め、村娘スジャーターの供養する乳粥(ちちがゆ)を食し、気力体力を回復したのです。しかし、その様を凝視した五人の修行仲間(父浄飯王(じょうぼんおう)が遣(つか)わした元臣下とも)は、彼が苦行に挫折し、堕落したと見なして、これを軽蔑し、去っていったのです。
 ― 悟りを開く ―
 いよいよ機縁は熟したのです。彼は岸辺に立つアシヴァッタの大樹(後に菩提樹(ぼだいじゅ)と呼ばれる)の下(もと)に、農夫からもらったムンジャの干草を敷き、「必ずや大解脱を得るまでは、決してこの坐を立たぬ」との大憤志(だいふんし)を胸に、深く終わりを知らぬ瞑想に入りました。
 この間、あらゆる心の働き、煩悩、怠け心や迷いとの壮絶な葛藤が、「悪魔」の名を借り、彼の心中で繰り広げられたとされます。そしてインド暦の2月8日、暁天(ぎょうてん)の明星(みょうじょう)輝くその瞬間(とき)、遂に彼は大歓喜に満たされて「悟り」を開き、仏陀(ぶっだ)(覚者・智者)となったのです。釈尊は一切の真理を知る智慧を得て、人生の苦しみの根本原因を克服する道を見い出し、その根本原因を消滅させ、究極の解脱を得たのです。
 ― 悟りとは? ―
 仏陀はその後更に7日間、更に幾つか木を替え瞑想を続け、悟りを味わい、吟味(ぎんみ)、反芻(はんすう)しました。即ち「縁起(えんぎ)の道理」です。
 世の中の全てのものには、根本となる原因があり、それに様々な縁が重なり合い、なるべくして、あるべきようにこの世に現れている。全ては偶然ではなく、必然の結果だ。一瞬一瞬の奇跡のようなものだ。しかし、奇跡は二度と現れず、続かないからこそ、奇跡なのだ。その縁が尽きてしまえば、あっという間に形を変え、次の「因」と「縁」の織り成す新しい「現象」に移り変わっていく。この一瞬一瞬の変化の連続だけが、唯一この宇宙の時間と空間を貫く真理であり、その他全てのものに、永久不変の実体は存在しない。
 これが「空(くう)」であり「無常(むじょう)」なのです。
 ― 初転法輪(しょてんぼうりん)(初めて悟りを伝える) ―
 仏陀の悟ったこの真理(法=仏の教え)は深甚(しんじん)にして言語を絶した計り知れないものでした。釈尊はこの伝道を躊躇(ちゅうちょ)されました。しかし結果的に法は伝わったのです。
 人として同じ悩み、苦しみの只中にいる人々を、何とかして救い、その苦しみを少しでも和(やわ)らげてあげたい。この尽きることのない普遍的な「思い」=「大慈悲心」。これこそ、「釈尊」という歴史上只独りの人物から、数多(あまた)の人々の心に脈々と受け継がれ、教えを広める「原動力」であったのです。約2500年の時を越えて地球を駆け巡り、この瞬間も人々の心を揺さぶり続ける淵源(えんげん)=仏性(ぶっしょう)の働きなのです。
 当時既に瞑想法を伝授した二師は亡く、釈尊の心には自分と共に苦行し、自分を見限った五比丘が浮かびました。彼らの住むサルナート(鹿野苑(ろくやおん))の地は、遙(はる)か18ヨジャーナ(200キロメートル)以上、徒歩で10日以上を要したと思われます。彼らは、苦行を放棄した釈尊を蔑視して、互いに歓迎せぬよう申し合わせしましたが、その威容に圧倒され、知らず丁重に迎え入れたのです。しかしその後、3度にわたり仏陀をなじり、説法を拒否したとされます。ようやく耳を傾けた五比丘に対して仏陀最初の説法がなされました。
 私たちの心は、この世をありのまま=真実の姿として受け止められません。「我(が)」という執着(しゅうじゃく)の色眼鏡(いろめがね)=「心の垢(あか)」が、抜き難く、かさぶたのように染み付いているからです。本来一つであるはずの世の中の真実を、自分の好悪、損得等によって、得手勝手(えてかって)に二つに裁断し、都合の好い方に解釈してしまう。無理難題をふっかけ、自分で自分の心に負担をかけ、求める結果が得られず、我が身と心を苛(さいな)んでいる私たちです。それを「心の三毒貪(むさぼ)り、憤(いか)り、痴(おろ)かさ」と呼ぶのです。愛欲と身体を苛む二つの極端を離れ(中道(ちゅうどう))、八つの正しい行い(八正道(はっしょうどう))による生活と修行を積重ねることこそ、悟りに至る唯一真実の道なのです(これを「四諦(したい)」=苦集滅道と呼びます)。真実の智慧をもって、ありのままに世の中の成り立ちを見極め、受け止めるならば、この森羅万象全てがそのままに、絶妙なバランスのもとで、絶えざる影響を及ぼしあい、変化し続けている「完全世界」であると合点がゆくはずです。自己と他を遮(さえぎ)るあらゆる区別が消失して、世界と自分が一つになる世界です。
 ― 三宝(仏・法・僧)の誕生 ―
 これを聞いてまずコンダンニャの智慧の眼(まなこ)が開かれました。仏陀は喜びの余り「コンダンニャは悟った」と三度叫んだとされます。残りの4人も次々と悟り、いずれも仏陀の下で弟子として修行したいと申し出ました。遂にここに、悟りを開いた実在の仏陀(釈尊)=「仏」と、その教え「法」、その悟りを求め、体現し、教えを広める修行仲間「僧」=(僧伽(そうぎゃ)・サンガ)が現前(げんぜん)したのです。
 ― 仏教伝道の礎(いしずえ)が固まった ―
 この三つを総称して「現前三宝(げんぜんさんぼう)」と呼びます。釈尊の教えを学び、悩み苦しむ人々を救う、人々の「生きる指針」の礎が固まったのです。仏教伝道2500年に及ぶ歴史の礎が、ようやくこうして固まりました。
「仏教は『独り(ひとり)の人間』に始まった」「うん!」とうなずいて頂けたでしょうか?
むろん私たちもその「一人」となるべく、共に精進してゆこうではありませんか。
合掌 
【参考文献】
・仏教百話、増谷文雄著、ちくま文庫 ・お経の話、渡辺照宏著、岩波新書
・ブッダ物語、中村元・田辺和子著、岩波ジュニア新書
・ブッダ・最後のことば―涅槃経を語る―、田上太秀著、NHK出版
・釈迦とその弟子たち、奈良康明著、NHK出版
・図説ブッダ、安田治樹編、河北書房新社
・遙かなる仏教の旅、松原哲明著、佼成出版社

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「心の鏡」
台番3248 襌興寺 梅澤徹玄


 毎朝本堂でのお勤めが終わると、即座に濡れ縁に出て、打板(だはん)する。持ち重りのする厚板の紐(ひも)を手前に引き絞(しぼ)りながら、硬い木槌で小気味の好い(よい)リズムを刻んでゆく。季節、日照、湿度、気温によって千差万別の音色が、境内の空気を切り裂く様に、解き放たれてゆく。その日の自身の体調も、自ずから知れる。本堂脇の萬霊塔に鎮座する観世音菩薩に、感謝と一日の無事を祈り、川を挟んだ対岸の雑木林の木々の成長と変化を愛(め)でる。坐具を敷き、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)に礼拝し、しばしの坐禅。「火灯窓(かとうまど)」*注1 越しに見える蔵の白壁と漆黒の腰板は、その向こうに臨む裏山の木々と相俟(ま)って、四季折々の絶妙なコントラスの綾(あや)を織り成し、日々変化する。坼(たく)*注2 の硬い質感と印馨(いんきん)*注3 の柔らかな音色に、読経の高揚感が吸い取られてゆく。
 冬の夜明けは遅い。未だ明けやらぬ薄闇が、ふと気がつけば白々と射し込む朝陽に置き換わっている。若葉の新緑が目に映る初夏は、鶯(うぐいす)のコロラトゥーラ*注4 の興宴だ。覚束ぬ音色が日に日に熟達してゆく様は、生命の悦びを謳歌するが如く、わが喜びに感じられる。季節は緑陰の深まりと共に、梅雨を経て、やがて麻法衣(ころも)全体に汗ばむ夏を迎える。夏の盛りは百日紅(さるすべり)の繚乱が目を楽しませてくれる。彼岸花の真紅が枯れ、紅葉の移ろいが過ぎると、程無く外は凍て付く一面の銀世界。新たなる長い冬の到来に指先が痛む。
 かの徒然草(つれづれぐさ)第155段に曰く「生・住・異・滅*注5 の移り変わる、実(まこと)の大事は猛(たけ)き河の漲り(みなぎり)流るるが如し。」と。季節の移ろいは、春が終わり、次に夏が来て、秋冬が来ると、順番に捉えるのは大きな間違いである。春の最中(さなか)にもう夏の気色(けしき)が萌し(きざし)ていて、その勢いに堪え(こらえ)切れないからこそ、あっという間に季節はめぐってゆくのだ。しかし「四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期(しご)は序を待たず。」季節には順序が厳然と存在するが、人の死を迎える順序は長幼の順に従わぬ道理だ。若いからと言って長生きできる保障もありはせぬし、年老いて尚意気盛んに長命を「心の青春」と享受する者も多い。
 しかし、とどのつまり、人は誰しも「明日をも知れぬ命」である。一瞬一瞬死ぬべき命の綱渡りを、「大いなるご縁」のお陰さまで、かろうじて凌(しの)いでいる。一日一日生かされることは、天恵による奇跡の積み重なりであろう。
 「死は前よりしも来(きた)らず、かねて後ろに迫れり。」 一日の始まりに急く(せく)心を踏み止まらせ、一瞬背筋を伸ばし、大きく息を吐く。季節の移り変りと、線香の燃え尽きる無常迅速、時の速さに、我が限りある人生の過ぎ行く断面を、目の当たりにする。
 盆や彼岸が近づくと檀家さんが、墓掃除に次々と訪れる。顔見知りの和(なご)やかな朝の挨拶が交わされ、穏やかな笑顔と清清(すがすが)しい雰囲気に包まれる。独りで、又家族共々、先祖の眠る終(つい)の棲家(すみか)を草引き、磨き、洗い清める。黄泉(よみ)と現世、先祖と子孫、老若男女の境を越えて、我が命の来し方行く末に想いを馳(は)せつつ、人は墓を磨き、草を引くのだろう。時間(とき)を忘れ、心を傾注して、きれいに調えられた墓を後にする人々の、なんと爽やかな面持ちであろうか。
 墓は一瞬人生を踏み止まり、己を調える無の空間=「心の鏡」とは言えまいか。
「息を吐き、背筋を伸ばして、己を空しくする「無」の営み=坐禅。こころが解(ほど)ければ、人生の本業と些事の区別は自ずと解ける(ほどける)と信じて、今日も又坐る。

*注1-禅宗寺院特有の様式の窓、上部が曲線、下が広がった形が炎を思わせる。花頭窓とも書く。
*注2-禅宗で用いる拍子木の呼び名。
*注3-柄の付いた金属製の鈴(りん)。いずれも坐禅の開始や終わり等の合図に鳴らす。
*注4-ソプラノ独唱等で行われる装飾に富んだ技巧的唱法。
*注5-仏教ではこの四つを「四相」「四有為相」と称して、あらゆる現象の生より滅に至る道程を跡づけている。
【参考文献】徒然草ー安良岡康作訳注(旺文社文庫)


  『人間の尊さにめざめ、自分の生活も他人の生活も、大切にしましょう』→「報恩感謝」
                    以上 

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「人の生命(いのち)はつながっている」  
大和町自殺対策推進会議委員 禪興寺住職 保護司 梅澤徹玄 


 「人の生命(いのち)はつながっている」というのが、まぎれもない実感である。普段私たちは何気なく「わたし=独り」のいのちと勘違いして暮らしている。しかし、ある日突然、身近に接する家族や友人、知人とのあの瞬間が、まさかの今生の別れとなったと知った時、“人は失われた生命と自分の生命が理屈抜きに魂の根源でひと続きであったこと”の衝撃に愕然とする。人生のやり直しのきかぬ絶対の一回性に、際限の無い悔恨と自責の念に、塗炭の苦しみを舐めずにはいられない。
 ひとつの生命の失われた影響は、水面に広がる水紋の如く、時間(含む世代)と空間を越えて、人々の心に深く長く浸潤して果てしない。しかし、そのこころの痛みは、容易に窺(うかが)い知れぬ、他者の想像を絶するものである。ゆえに、遺族への気軽な励ましや、責任の無い軽率な非難の言葉により、遺族は更なる二次被害に苦しまねばならぬ。自殺に対する社会的偏見は、未だ社会に満ち満ちている。それは偏見、差別と自覚されぬ爲に、遺族はその死因を隠し、自らの苦しみを他者に打ち明けられぬ。遺族の間ですらタブーとして言葉にできぬケースも稀ではない。
 「孤独」という名の「絶望の連鎖」を、なんとか食い止めるため、私たちにできることは何かないのか?という懸命な思いが、この対策の根本にあらねばならぬ。       以 上 
「広報たいわ」8月号より

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江路野梅の香 西来意を漏洩す 杜詩    
宮城県 襌興寺 梅澤徹玄


 未だ表は真っ暗な本堂内に響き渡る朝課の勤行を終え、濡れ縁に吊るした木版を打板する。(生死事大 無常迅速 光陰可惜 時不待人)アフリカの太鼓を作る素材である「ブビンガ」の材で作られた厚板は、遠く吉田川の水面を渡り、縄文時代の「中峰遺跡」を擁する川向うの檀家さんの枕元に届いているそうな。そのリズミカルな音色の響きは、毎朝の天候、湿度により、千差万別に辺り四方に拡がり、私の身中に木霊する。肌を刺す乾いた日は遠く天に矢が放たれた如く冴え渡り、雪の降り頻る明け方は、耳を錐の如く突き刺し、真綿を敷いたかの積雪の朝には、柔らかくくぐもった反響音の無い響きが雪に吸いこまれてゆく。その頃合いの空の明るさと手の冷たさ(=痛さ)で、季節の移り変りを肌で実感する日々である。
 さて漸く暦は弥生となり、春の到来近き想いに胸躍る月初め。弥生(やよい)とは、弥(あまねし、いよいよ)の意から、春の息吹に誘われて、草花樹木動物等の生命力が大地一杯漲り、行き渡ることであろう。冬の「静」から春の「動」へ劇的な周り舞台が、間もなく転回する。
 と思いきや、チリの大地震由来の大津波警報に触発されたか?一日の晩夜来の雪が15センチ程降り積もり、翌朝は再び辺り一面の雪景色と相成った。三寒四温の言葉通り、やはり一直線に春はやって来ない。さぞかしベタ雪だろうと自家用除雪車・8馬力の使用は端(はな)から諦め、人海戦術で真っ向勝負。閑栖和尚、次男共々三「人力」で何とか除雪完了。予想に反して、雪はサラサラと軽く、空気もぬるく、雪掻き片手に引き上げる頃には、汗ばむ程であった。
 さて、その津波警報の出された太平洋岸、三陸海岸気仙沼の和尚様より昨日届いた大量の生ワカメ。日頃お世話になっているお宅に、少しでも新鮮な中におすそ分けしようと、汗も乾かぬ間に台所で「仕訳?・袋詰め」。早速雪景色の七つ森山麓を車で疾駆する。
と、突然車窓に広がる「絶景かな、絶景かな。」純白に輝く純農村のこころ懐かしき風景を背景に、眩いばかりに繰り広げられる眼前七つ森の大パノラマ。思わず魅了される。(ハンドル操作に要注意!)「まほろば」の里に住まいする仏縁の有難さに、思わず手が合わさる気分であった。(手放し運転に要注意!!)
 杜詩曰く「江路野梅の香 西来意を漏洩す」 すなわち、早春の道端に香る寒梅の香りはそのまま、この宇宙大自然をつかさどる仏性三千大世界の凝縮された一香である。その如く等しき仏性の露呈(あらわれ)としてこの一瞬を生かされてある大いなる「わたくし」の生命。このいのちの枝分かれが、鼻腔の粘膜で邂逅する「一期一会」の感銘を、鮮やかに切り取った感謝の一句であろう。梅の香と雪景色の山々と、形こそ違え、大いなる自然に包まれ、一つになって暮らす喜びと感謝の念を深くした一瞬に相違は無い。
一昨年秋に巡教で駆け巡った伊予の国。海面からせり出す蜜柑畑の斜面越しに、光煌く海原の情景が、改めて脳裏をよぎる。
 海路蜜柑の香 西来意を漏洩す 玄詩

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「自灯選書「ねえねえよんで」 ―かお―
台番3248 襌興寺 梅澤徹玄


「かお」  桜井信夫
きねんしゃしんに みんなで おさまっている
  あのこが いる  あのこだけを みる
いくれつもならぶ  みんなの ちいさなかお
 あのこが いる  あのこだけで いい


 おじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん。
 突然ですが、あなたの「初恋」は、いくつのときでしたでしょうか?初めて異性に胸が「ときめいた」ころを、覚えているでしょうか? 
 もし、お子さんや、お孫さんに尋ねられたら、どうお答えになるでしょう。
「戦争や生活に追われて、それどころではなかった」とおっしゃるでしょうか?いえ、いえ、そんなはずはありません。
 昔のアルバムをひも解けば、胸がキュンと切なくなったり、鼻の奥がツンとなったりする想いは、どんな時代にも、誰にでもあるはずです。
 気の遠くなるような御先祖様から連綿と受け継がれ、子孫に譲り渡すべき命の媒介に、この小さな「胸の想い」が果たす役割は、欠かせません。それは「大いなるいのち=仏さま」からの贈り物でしょうか。母の胎内に宿り、この世に生まれ、家族の人間関係の中で大切に育まれた幼きいのち。その子どもや孫が、次の世代への橋渡しとしての第一歩を踏み出す「聖なる一歩」に、心豊かな共感をもって立ち会うことができたら、どんなにか幸せでしょう。
 私達の青き青春の記憶を心に辿りながら、彼らの未来への成長を願いつつ、この詩を読み聞かせてあげられたなら、いつかきっと彼らは想い起こすでしょう。青春の刹那に、又、彼ら自身が年老いて、わが子や孫に読み聞かせをする刹那に。
 今は亡きおじいさん、おばあさん、おとうさん、おかあさん=私たちが、そっと幼き心の羽ばたきに、優しく寄り添ってくれたあの頃を。心懐かしく、わが子や孫の頭を撫でながら、心の中で感謝の合掌を捧げることでしょう。
 願わくばこの功徳が、あまねく未来の世代の心を豊かに深く掘り起こし、お金で売り買いすることのできない世界を彼らの心に育むことができますように。   
合掌 

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おばあさんの螢  
襌興寺住職 妙心寺派布教師 梅澤徹玄


 「大螢 ゆらりゆらりと 通りけり」   小林一茶

 祖母が亡くなった晩のことです。亡骸(なきがら)の安置された部屋で、ふと目を覚すと、二匹の螢が祖母の布団の脇で寄り添っています。裏山から湧き出た水が清流となって、三方を取り囲む我が山寺。とは言え、螢が部屋の中まで入り込んで光を放つことは、今ではめったにありません。
 その昔、まだ祖母や母が幼かったころ、子どもたちの夏の夜の楽しみは、もっぱら螢狩(ほたるが)り」だったそうです。
 むしり取ったネギに螢を入れて、浮かび上る黄緑色の光を提灯(ちょうちん)のように楽しんだこと。持ち帰った螢を蚊帳(かや)の中に放すと、隅の方へ飛んで行って、そのボンヤリと明滅する光を寝転(ねころ)んで眺めたこと。何とも言えぬ安らいだひとときだったそうです。
 その祖母は、住職であった夫に若くして先立たれました。戦争未亡人として、当時7つであった母を抱えて寺を守り、88年の生涯を閉じたのです。
 古来より蛍は亡き人と現世に遺(のこ)された者との心をつなぐ役割を与えられてきたようです<註1>。また、螢の語源は「火垂(ホタル)」とする説もあります<註2>。発光する螢の光が、まるで尻から火を垂れているように見えたのでしょう。日本人が螢の光りに魅せられ、その神秘的な輝きに特別な意味を読み取ってきたことは、確かなようです。
 19歳で寺に嫁(とつ)ぎ、三十路になるかならぬかで未亡人となった祖母。その祖母が最晩年の三年間床に就(つ)き、骨と皮になって家族に看取られ息を引き取った晩でした。哀しみに疲れて眠る遺族に囲まれて、祖母は精一杯生き抜いた人生の果てを、安らいでいたのではないでしょうか。半世紀ぶりに、あの世から迎えに来たであろう亡き夫との逢瀬を楽しみながら…。なぜって螢が光を発するのは、雄が雌にプロポーズする行為なのですから。
 それから一年後。祖母の一周忌のお逮夜(たいや)は、夜遅くまで賑(にぎ)わいました。祖母の生前のように、皆が仏壇前に集っています。しみじみと祖母を偲んで始まったお逮夜の席、いまや50歳を越えようとする甥や姪が、子供のころに戻って繰り出す笑い話の連続に、やがて笑いの絶えない陽気な宴(うたげ)となったのです。
 生前祖母は、人を見かけると誰彼(だれかれ)なく
 「お茶っこ飲んでいかいん(お茶を飲んでゆきなさい)」
 と声を掛けて、家へ上(あ)げるのを常としていました。特に戦後の大変な窮乏期に、影になり日向(ひなた)になりして手塩にかけた甥、姪に囲まれて、盛り上がる話の輪の中で、二コニコと相槌を打っている笑顔が、今も忘れられません。
 さすがに夜も更け、部屋の片付けも一段落したころです。午後から降り続いていた雨も、夕方過ぎにようやく止み、雨上がりの湿った草木の香りが、部屋の空気を満たしていました。甥、姪の子供たちは19歳を筆頭に、曾孫を含めて十余名。外の空気に触れに出た1人が、暗闇(くらやみ)に光るものを見つけました。
 「螢」です。
 皆を呼び集めて、祖母が生前こよなく愛した川縁(かわべり)の野草園へ出ました。今まで見たこともない螢の群れが、あたり一面に乱舞しているではありませんか。昨年の命日に2匹であっだ番(つがい)の螢は、時を経て群れ遊ぶ一団の螢となったのでしょう。祖母亡き後も、その遺徳を偲び、寄り集った子孫たちに、祖母はさぞかし満足したのでしょう。その「ごほうび」として
 「この群れの一匹一匹がお前たちなのだよ」
 と祖母が呼びかけてくれたのではないでしょうか。
 「祖先の願いに生きる みんな いのち真っ只中」と申します。祖先の愛情の積み重なりとして、今日生かされている私たちです。生命(いのち)の重みを胸に刻んで、一日一日を精一杯生きること、それが遺された者が故人にできる本当の意味で、最大の「供養」なのではないでしょうか。

註1…………(『伊勢物語』)より
註2…………(貝原益軒『大和本草(ヤマトホンゾウ)』)より
平成11年「花園」7月号より

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第59回"社会を明るくする運動"強調月間に寄せて
大和町担当保護司  梅澤徹玄


 仙台など大都市では、定額給付金の支給開始が手間取り、苦情や問合せが殺到しているとのニュースを聞いた。棚からぼた餅の一時金が少し待たされただけでもこの騒ぎである。まして、就労の当てもなく、生活費を得る見込みのない者の将来に対する不安と鬱屈はいかばかりであろうか?
 "社会を明るくする運動"(以下「社明」)は犯罪や非行を犯した人々の立ち直りや、再犯予防、又その更生に対する地域の理解を目的とする全国レベルの善意の運動である。宮城県では村井県知事が推進委員会委員長となり、自治体や各種関係団体が推し進めており、7月は強調月間として様々な行事や活動が行われている。
 本年は特に「犯罪や非行を犯した人たちの就労支援」が重点事項に定められている。
 履歴書の履歴欄に書くことのできない「ブランク」の期間。これが服役した人々の再就職に当たって最大の難関である。昨年来の経済不況でリストラ、失業が話題とならぬ日もない。人が生きてゆく上で必要な最低限の生活資を得るためには、働かねばならぬ。
 それには就職先と住居がどうしても必要なのだが、「前科」という名の目に見えぬバリアや偏見が、罪を償い、社会更生しようとする人々の行方に、更なる困難をもたらしている。私達保護司は痛感する。担当する人々の立ち直りを支援する上で、やはり毎日地道に働ける職場なしには、再犯を防ぐことはできないと。人は「仕事」を通じて社会的役割と規律を体得し、自分自身への誇りと働く喜びを取り戻す。その環境を整えることが、私達が安心して暮らせる地域社会への確かな一歩であろう。
 こうした人々の事情を了解した上で、積極的にこれらの人々を雇い入れて下さっている企業が「協力雇用主」である。お陰様で大和町にも幾つかの協力雇用主があり、日頃大変なご協力を頂いている。様々な困難や偏見を承知で、敢えて過ちを犯した人々の立ち直りの爲にご尽力下さる高潔な方々の努力に心より感謝申し上げる日々である。と同時に一人でも多くの協力雇用主が増えることを願わずにはいられない。人はこころがつながることでしか、立ち直ることができないのだから。

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「人生の本を務めよ」 ―第1章家庭の基本― 知育・食育・徳育 
台番3248 禅興寺 梅澤徹玄


― 食 育 ―
 「こんな美しい、おいしいモノはアメリカのどこにもありません」。私にお経を教えてくれる青い目の兄弟子は目を輝かせて誇らしげに語った。読経の朗々とした響きは、純白な粥が染みこむ身体を清めてゆく。簡素を極めた禅の暮らしは、味覚を研ぎ澄まし、シンプルな食味に豊かさを加える。
 「早寝、早起き、朝ご飯」が当たり前だった時代は過去のモノとなりつつある。いま子供達の生活の乱れが深刻だ。朝ご飯を食べないことがある小学生は15%、中学生は22%に登り、午後10時以降も起きている6歳未満の幼児は29%、小中学生はもっと夜型になる。(文科省)
*註1―人間の体内時計は、日の出、日の入りの摂理に無理なく叶っている。
 禅宗の専門道場では、今日でも日の長さに合わせて、季節で暮らしのリズムが変わる。日本人古来の生活様式が身体に心地よい。
 朝は一日で最も集中力が高まる時で、当然学習効果も高い。朝飯をしっかり摂れば、体力はむろん、脳に充分な栄養が行き渡る。朝ご飯の大切さがわからない親が子供の発育を損なう。
 更に睡眠の乱れはもっと深刻だ。毎日の入眠時間のズレが一時間半を越える「睡眠不規則」の幼児は、三角形を正しく描けない割合が44%。「規則」的な子供の描けない割合の約3.7倍に達する。三角形を描くには、四角形より高次な脳機能を必要とする為、脳の発達の指標となる。又、睡眠不規則な子どもには「持続力がない」「背筋を伸ばして座れない」「理由なく他人を攻撃する」等々問題が出やすい。人間では約八歳が正常な睡眠を身に付ける「臨界期」のピークとされる。睡眠異常だと、体温リズムの異常、多動、夜尿、無気力、粗暴の他、鬱病や分裂病となる可能性も指摘されている。
*註2―生活(くらし)の乱れが子供の心と身体を蝕んでいる。

― 知 育 ― 
 幼子の知らず知らずに知恵づきて、ほとけに遠くなるぞかなしきーよみ人知らず 
 部屋に、まだ小さかった頃の子供達の家族写真を飾っている。あどけない、弾ける(はじける)ような、天真爛漫な笑顔が並んでいる。
 他人の傷み、辛さ、生命(いのち)の重みを度外視した、少年少女による凶悪犯罪が蔓延してから久しい。子供は現代社会の矛盾が凝縮された象徴であり、私達大人の鏡である。
 今多くの親は小さな頭脳に知識を詰め込むことに必死だ。人は知識を学び始める前に、「快・不快」を基準として、先ず自分の感情をじっくり味わい、これに向き合い、コントロールする術を学ばなければならない。それを土台として、人間関係を築く「心の根っこ」が育つ。知育偏重は、自分や他人の気持ちが理解できない、人の傷みや辛さに共感できない「砂上の楼閣」をつくってしまう。
 「マシンガンのような情報のやりとりだな」と思った。車内で息子と友達の会話を耳にした時だ。妙な違和感を覚えた。好きなゲームやフィギュァの話題に興じて、熱に浮かされたように話は盛り上がっている。けれど「何を感じ、どう思ったか」という話題は全く出てこない。学生の頃、友人どうしの会話に覚えた違和感と同じ気がした。その会話は知識量を競いあい、「知識を共有することでしか、人と繋がれない」かのような「切迫」した「寂しさ」を感じさせた。ところが、関西の友人どうしの会話をきいていると、漫才風の会話の中に、気持ちのやりとりが充分に感じられた。知識の有無に拘わらず、自分の居場所が与えられている安堵感を覚えた。    
 仕事では物事をテキパキと片付ける効率が最優先される。様々な矛盾した感情にかかずわらっていては、仕事が進まない。「仕事に感情を持ち込まない」ことが社会では当然とされる。しかし、家族は仕事場とは違う。それぞれの「思い」を共有し、積み重ねてゆくことで、初めて家族の絆が培われ、人生の掛け替えのない寄る辺となる。けれど、私達はいつの間にか仕事の論理を家庭に持ち込みながら、そのことの歪みに気がつかない。「仕事の為なら、自分や家族が犠牲となったり、辛い思いをすることは当然だ」と、心のどこかで無意識に思わされている。「~しなければならない」ことに追われた大人達が、「~しなさい」と子供達に「マシンガン」のように指示を出す。かくして家族の会話の殆どを、事実の羅列と情報の交換が占めてしまう。お互いの思いは伝わらない。「会社化」した家庭が、子供たちから笑顔と生気を奪っている。

― 徳 育 ―
 禅書「臨済録」では、こころの最も重大な病は「自分自身に自信がもてないこと」だと喝破する。*註3―家庭が心と身体を休め、くつろげる場となっていれば、人は自分自身の力で再生して、立派に胸を張って、社会に立ち向かってゆける。自分のこころや感情を家族がしっかり受け止めてやれば、自ずから他人や社会に対する信頼感が育まれる。自信や責任感が生まれる。結果として徳は自ずと育まれる。先ず私達大人が、自分の生活(くらし)を見直すことから始めなければならない。

*註1―朝日新聞 H18・4・9 社説
*註2―産経新聞 H17・8・22 こども大変時代
*註3―臨済慧照禅師語録/示衆・朝比奈宗源訳註 岩波書店 P39

参考書籍」
*『感じない子ども こころを扱えない大人』 母衣岩奈々著 集英社新書 P13、60、61、63


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教誨に思う 
教誨師・襌興寺住職 梅澤徹玄


 現在宮城刑務所では、10の宗派が宗教教誨を行っています。カトリック、プロテスタント、浄土宗、真言宗、真宗、神遣、天理教、日蓮宗、曹洞宗、それから私ども臨済宗です。収容定員は920名ですが、実際には定員を120名ほど超過しております。7月6日現在、全宗教教誨の定期参加者は143名です。臨済宗では月1回の集合宗数教誨、また、情操教育の一環として「坐禅」を3班に分けて月1回にて順次実施しています。定員は部屋の大きさの関係上、1回15名が坐禅できる精一杯です。さらに個室に居住している方のために個人教誨、8月には仏教各派共通の孟蘭盆施餓鬼会(うらぼんせがきえ)(17年度参加者352名)を臨済宗が担当しております。その他、所内で亡くなった方に対し、棺前読経を行う場合もあります。
 教誨の内容は読経、法話、坐禅を三本柱としています。禅宗は身体(からだ)を調(ととの)え、呼吸を調えれば、自然と心が調うとする教えです。人は経歴、罪業にかかわらず、だれでも元来仏となる可能性をこの身に備えて生まれ落ちてきています<悉有仏性(しつうぶっしょう)>。受刑者がまず自己の尊厳に目覚めて初めて、他者の生命(いのち)の尊厳に目覚め、大切にしようとする心が育つのです。そこで「挨拶(あいさつ)〈禅語=師匠と一対一で禅問答を行い、悟りの深浅を探る、に由来>」を丁寧にすることを心掛けています。こちらから先に心を開き、相手の心に飛び込んでゆくことで、心のチャンネルを結ぶことがすべての出発点です。また、自分の人生を振り返り、少しでも愛情や目を掛けてくれた人がいたと気付いてもらう。「人間的なまなざしが自分にも向けられていた」と気付くことで初めて、他者に対する人間的信頼感を再構築することができるのです。仏教を学ぶ対等な「宗教的人格者」として受刑者を敬い、慈(いつく)しみの心で接することが何より大切と信じます。「自分は生まれ変われる・変わらなければならない」と、受刑者自ら得心する手助けが、少しでもできればと願っております。
善意の広場 平成18年11月 刑政117巻11号より

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第58回社会を明るくする運動 
教誨師・襌興寺住職 梅澤徹玄


 みなさんは「社会を明るくする運動(以下『社明』)」を知っていますか?もともとは終戦後間もない昭和24年、貧困による少年の非行に心を痛めた東京銀座商店街の方々が、犯罪や非行の予防を広く訴える「銀座フェアー」を開催したのが発端です。
 昭和26年から全国的に展開され、本年で58回目を迎える草の根運動です。特に毎年7月を「運動月間」と定め、地方公共団体、保護司、更生保護女性会、小中学校、PTAはじめ、更生保護に係わる人々や団体が幅広く連携、協力して様々な啓発活動を実施しています。街角で「社明」ののぼり旗やポスター、チラシなどを見かけたり、お子さんの作文コンテスト、ミニ集会を通して、意外に身近なところで経験されているのではないでしようか。
 現在、私たちは報道の影響からか、以前にも増して犯罪や事件が、いつ、どこで、誰に起こっても不思議ではないとの生活実感を持っています。誰でも被害者になりうるし、誰もが加害者になりうる時代です。
 それが私たちの大事な家族、友人、ご近所、知人であるかもしれません。その瞬間(とき)、犯罪や事件、被害者、加害者をかけ離れた特殊な存在として、私たちの暮らしや人生から意識的に切り離してしまう傾向がありせんでしょうか。「人は変わることができる。そう信じることから更生保護はスタートします。犯罪や非行からの立ち直りを社会の一人ひとりが支えていく。更生への希望は、あなたの『おかえり』から生まれます。」(本年度社明リーフレットより)過ちを犯しても「立ち直りたい」と決意した人々が、二度と同じ過ちを繰り返さないためには?過ちを犯す人々を生まない家庭や地域をつくるにはどうしたらよいのか?私たち自身の問題として、いま改めて一人ひとりが考えるきっかけとしていただければ幸いです。子どもたちの、孫たちのより良い明るい社会づくりのために。
広報「たいわ」平成20年7月号より

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「坐 禅」  
禅興寺住職 梅澤徹玄


 「坐禅」の「坐」の字を、よく見てみると、土の上に人が二人向き合っています。坐禅は確か独りでするはず?にらめっこでもなし。さて、誰と誰が向き合っているのでしょう?
 「禅とは心の名なり」と申します。
 お釈迦様は約2500年前に実在の人物としてお生まれになりました。その後、菩提樹の下で、坐禅の姿で瞑想に入り、この世の真理をお悟りになりました。そのお悟りの心と全く等しく澄みきった心を、このわたくしも生まれながらにいただいていた、と気づくことが大切です。
 けれど、私たちは日々の暮らしに追われ、自分の心と向き合う時間や場所がなかなか持てません。自分自身の心が作り出した欲望や悩み・苦しみに迷い、翻弄されています。
 自分で自分が嫌になり、自信がもてず、自分の未来や可能性を信じきれない時もあります。心が傷つき、人を傷つけてしまうことも少なくありません。
 では、三毒(*注1)に濁ってしまったわたしたちの心を、一杯の器の泥水にたとえて見ましょう。この泥水をきれいにするにはどうしたらいいでしょう?泥水はガチャガチャと揺すり続けている限り、いつまでも濁った泥水です。けれど、静かにそおっと放っておいたらどうでしょう?いつのまにか、澱(おり)が下に沈んで、上澄みが「さぁーっ」ときれいに澄んでゆきます。
 生活信条一日一度は静かに坐って、心と身と呼吸を調えましょう。
 毎朝仏壇にお供えをして、手を合わせたら終わり、ではいけません。それでは、禅宗の檀信徒としては、残念ながらいつまでたっても半人前です。必ず毎朝引続き、坐禅を致しましょう。たとえ一日1分でも2分でも結構です。そのまま正座でも、膝が痛ければ椅子でも構いません。まずは、しっかりと背筋を伸ばし、少しあごをひく。つぎにお腹の息を深く長く鼻から吐いて、心に溜まった澱を沈めましょう。お腹の息を吐き切ったら、鼻から息を自然にお腹にもどしてやります。これをゆっくり10回繰り返したら、もうそれだけで、毎日立派な1分の坐禅です。
 一日の始まりに、生まれながらの清らかで澄みきった自分のこころに生まれかわり、向き合うことができるのです。自分の奥底から湧き上がる生命(いのち)の息吹(いぶき)とひとつになって、今日を生きる喜びが感じられはずです。
 一寸坐れば一寸の仏。一生続ければ、一生の仏。大地にどっかりと尻をすえ、わが調(ととの)えし心を宗(むね)(=生きる指針)として、一日一日を悔いなく生きることこそ「禅」であります。
 注1―貪(むさ)ぼり・瞋(いか)り・痴(おろ)かさ

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「瑞巌寺―辻説法&法話会レポート― 」 
禅興寺住職 梅澤徹玄

辻 説 法

 宮城県はこの秋、JRとのタイアップ企画として「デスティニーキャンペーン」と銘打ち、全国に「美味し国」宮城を発信すべく、3ヶ月で約1000余りのイベントを繰り広げています。日本三景・松島を代表する臨済宗妙心寺派の古刹―瑞巌寺では雅楽の東儀秀樹他のコンサート、紅葉ライトアップ、埋れ木書院の抹茶付き特別公開等多彩なイベントで活気づいております。加えて、拝観者を対象に、10月より年内一杯の3ヶ月の週末、祝日に辻説法と法話会を実施しています。運営は妙心寺派布教師会に瑞巌寺が一任。布教師会が全国各地より中堅以上のベテラン布教師十数名を派遣しております。辻説法は一日4回(午前・午後各2回・約15分)。法話会は一日2回(午前・午後各1回・45分)程度、演題は自由として各師にお任せ。場所は辻説法が中門・観音前、法話会は本堂脇の回廊。マイク片手に小さな演台、立て看板を設置していざ出陣!普段はお膳立ての揃った聴衆相手の布教師の面々。殆どが辻説法初体験。捨て身の裸一貫、自ら客引きながらの「人気稼業?」と来たもんだ。果たして本当に聴衆は立ち止まってもらえるのか?無視の波間に撃沈か?始まる前から面々の内心は戦々恐々。
 ところが意外や意外。辻説法はあっという間の人だかり。生まれて初めて身近に聴く禅の法話に各人各様、興味津々の体。一方、法話会は緋毛氈に椅子を並べたのが却って、心理的拘束感を刺激したか?最初の一人が坐ってくれるまでが我慢のしどころ。後はこちらから擦り寄って、客引きながらの力づくで、グイグイと話へ「通りすがりの聴衆」を引っ張り込むしか他に手は無し。奮闘努力の甲斐あって立ち見でもでれば、最後の聴衆御礼挨拶も腹の底から出ようというもの。冷や汗一斗、大いに勉強になりました。そうかと思えばこの法話だけを聴きに千葉から来松のご夫婦やら、記念写真をせがむおば様連&外人観光客、涙ながらに身の上話を語る方、翌日の結婚式ついでの拝観記念、講演帰りの講師様と、普段は仏教や法話と余りチャンネルを持たない人々も悲喜交々。貴重な仏縁となったのではないでしょうか?寒さが足の底から這い登る師走、果たして無事円成となりますかどうか。乞うご期待。
臨済宗青年僧の会機関紙「不二」より

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「いのち」    
禪興寺住職 梅澤徹玄


 はじめに
 今を遡ること約2500年、釈尊は「人は、おのれより愛(いと)しいものを見いだすことはできぬ。それとおなじく、他の人々にも、自己はこの上もなく愛おしい。されば、おのれの愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ。」と偈(げ)を述べ、不殺生戒(ふせっしょうかい)(殺してはならぬ)」を定められたとされる。*注1
 「いのち」の尊厳
 「いのち」の尊厳と口にすれば、砂をかんだようなやるせない時代を生きる私たちである。マスコミや巷(ちまた)に溢れる悲惨な事件・事故は、日常のありふれた情報となり、人ひとりの「いのち」の重さに対する現実感覚をいつしか麻痺(まひ)させているかのように感じられる。
 「誰でもよかった」と口走る容疑者の自暴自棄のあげくの「道づれ」感覚には、他者の「いのち」に対する敬意のかけらも感じられない。と同時に、それは彼自身の人生と「いのち」が、他者に大切に扱われてこなかったという怨念(おんねん)の裏返しであろう。思い通りにならない人生の袋小路に追い込まれた自身の責任は、他者の「いのち」を虫けら同然に扱うことで、他者に転嫁される。しかし、結果としておのれの人生に拭いようのない「いのち」の重みの「首かせ」をはめてしまうことに、踏みとどまって思いを致すことはなかったのだろうか?
 刑務所の教誨師として
 宮城刑務所で教誨師として活動させて頂いている。全国で最も重い罪を犯した人々が収容される施設の一つであり、「いのち」に係わる罪を犯した人も多い。目の前の彼らは、こころ開きさえすれば、私たちと何も変わらぬ当たり前の人間である。しかし人生のある瞬間、越えてはならない一線を越えて、その後悔の念にさいなまれつつ、つぐないの人生を強いられ、自由を奪われている点が違うに過ぎない。家族や社会、自由、名誉、肉親の情といった全てを国家から強制的に奪われた彼ら。だからこそ、骨身に染みて痛感する他者の「いのち」の重みと、自己の尊厳がある。「生きている」ことの根源的な意味を自らの人生に問い返さずにはいられない、果てしのない悔恨の日々が続く。
 ある個人教誨の折。何10年前の自らの行為に苦しむ彼に「あなたはもう充分に悔い改めた。そのあなたこそ、『いのち』の本当の重さを知るかけがえのない人生ではないですか。」と語りかけた。止めどもない涙が彼の頬をつたった。事件のあった方角に向かい、ともに五体投地の拝を繰り返して般若心経を唱えた。「ようやく胸のつかえが取れました」と別人のような安堵(あんど)の表情を浮かべて彼は再び独居房に帰っていった。
 さいごに
 この彼の自らをさいなみ続けた良心にこそ、又悔い改めて初めて見せた安堵の表情にこそ、人間のいのち尊厳があるのではないだろうか。たとえどんなにどん底に落ちても、決して失われることのない、清らかな「いのち」の躍動をこそ、私たち宗教者はみずからの言葉と経験を力として、人々のこころに取り戻してゆく使命があるのだと思うこのごろである。
*注1 増谷文雄著「仏教百話」ちくま文庫
「みやぎ宗連報35号」より

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「裁判員制度について」 
教誨師・保護司 襌興寺住職 梅澤徹玄


 刑事事件の特に重犯罪に限り、死刑を含めた有罪・無罪の判断、有罪の場合は量刑の確定まで、法律専門家としての職業「裁判官」に伍して一票を投ずることの重大さは、一人の人間の人生を大きく左右する点でも、私達の人生においても、確かに日常レベルの緊張感を遙かに超えたものだ。新約聖書の「人を裁いてはならない」とのイエスの御言葉に基づき、イギリスやドイツでは「聖職者」は裁判に判断者として参加できないと規定される。それでは果たして、仏教、特に禅宗ではどうであろう。信者と出家者の区別なく、仏教徒、特に禅宗の立場から考えたい。結論から言えば、宗派として統一的に、裁判員としての参加の是非や、有罪・無罪、又量刑についての判断の可否を決定すべきではない。裁判員「辞退」の有無や死刑判決等の支持・不支持も含めて、あくまで個人の良心(仏性)に照らし合せて、自己の責任で判断すべき事柄であろう。なぜなら禅宗が「仏心宗」と別称される由縁は「己の(仏)心を旨として生きる」宗教であり、最終的な判断の拠り所は「よく調えられた」自己(個人)の心のみである。むろん法律技術的に素人である私達が、専門家である「裁判官」の適切な助言に耳を傾けることは、裁かれる側が納得できる合理性の点からも不可欠であろう。しかし気後れや遠慮から、主体性を手放したり、専門家に無条件に追随する「事勿れ主義」だけはまずい。
*注ー臨済録に曰く「真正(しんしょう)の見解(けんげ)を求めんことを要す。」「你(なんじ)が人惑(にんわく)を受けざらんことを要す。」「病甚(いず)れの処にか在る。病不自信の処にあり。」「念念馳求(ちぐ)の心を歇得(けっとく)せば、便(すなわ)ち祖仏と別ならず」と。現実的には様々な不便不利益が多いであろう。しかし尚仏教者、禅者としては、己の智慧(仏性)を拠り所に、被告、裁判官、検事、弁護士、裁判員等すべて「面前聴法底是なり」と腹をくくり、その仏性を見極める「大接心」と心得て、がっぷり四つに取り組んだらいかがであろう。以上

注ー筆者意訳:正真正銘・真実の見解を得なければならない。中途半端やいい加減ではだめだ。他人の言葉や思惑などに左右されたり、おもねってはいけない。心が迷ったり、悩んだりする根本的な原因は何か?

 それは自分の心の奥底にある真実の声に耳を傾ける時間と場所をもてずにいるからだ。だからいつでも自分に自信がなく、最後の最後まで自分を信じきる勇気がもてずにいるのだ。

 外に向ってありもしない答えを求めることをやめよ。他人に答えを求めたり、当てにしても無駄だ。

 本当の答えは自分自身の心の他にはどこにもない。

 先ず一度立ち止まり、背筋をのばし、腹の底から大きく息を吐き出して心を調(ととの)えよ。そうすれば必ずや仏様や歴代のすばらしい禅僧の方々と寸分違(たが)わぬが、自己の内なる真実の声を探しあて、迷わず進むことができるはずだ。

 そのような素晴らしい仏の心(仏性)を、我々一人残らず生まれながらにこの身に頂いて生まれ来ているのである。(悉有佛性・しつうぶっしょう)
「正法輪」平成21年4月号原稿
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